パブリックコメント集

           
         
         
         
         
         
         
    

越水利江子花形みつる赤木かん子5*SEASON野上暁河野孝之N.Y細江幸世大森俊子中西洋一郎K.H.宇野和美横川寿美子おくやまうゐの令丈ヒロ子中由美子浅岡靖央久米高史井上征剛わしこ小口大城目黒強西田俊也02松本徹伊東明美林さかなくまがいマキ葛城環河西雅宣極楽とんぼ瀬下美和西内ミナミ西田俊也ばく創作児童文学の会 こてまりえりこさくまゆみこ末吉暁子中塚鞠子きんとうん出版・なかにし野坂悦子香村裕ひこにゃん中川千尋西村醇子Zengzi松井るり子ひこ・田中
  • 越水利江子

    「こどもに心をそそがない国は滅びます。こどもの文化に目を向けない国は未来を食いつぶす野蛮な国です。」
  • 花形みつる
    児童文学館の廃館について
    私は、このたびのことで、はじめて児童文学館の存在を知った、「えっ、そんなすごいものがあったの」と驚いたという迂闊な人間でした。が、知った途端になくなってしまうなんて、それは、いくらなんでもあんまりです。
    神奈川県民がこんなことを言うのもなんですが、廃館の理由のひとつが来館者が少ないということなら、宣伝してください。
    他県の人間は知らないんです、その存在を。
    世の中には、児童文学館という子ども文化の宝庫が大阪にあると聞いたら行ってみたい、
    と思う人間はたくさんいます。我が子といっしょに訪ねたい、世界一充実しているアニメやマンガの資料を見てみたい、と思う親や大人はたくさんいます。
    廃館か否かの前に、まず、児童文学館の情報を全国に発信して欲しいです。
    宮崎県の知事は、就任以来、テレビ等のマスコミで県の特産物を宣伝しまくっていますが、是非、あれの文化版をやってくださることをお願いいたします。
    全国的な知名度を誇る橋下知事なら、その効果は絶大なはずです。
    文化に対して人が抱くのは、憧れと尊敬です。
    だから、文化のあるところに人は惹きつけられる、国内だけじゃなく世界中
    (例えば、浮世絵やマンガやアニメのように)からも。
    文化にお金をかけることは、長い目で見てムダではありません。
    児童文学館を廃館にして、大阪に対する憧れと尊敬のひとつを捨ててしまうほうがもったいないと私は思うのですが。
  • 赤木かん子

    鳥取のもと知事は、知事になったとたん、図書館の整備を始めた…。学校図書館に司書を配備し、県立図書館の中身を立て直し、学校図書館のバックアップをさせ、それはいまだに続いている。
    子どもの学校の授業参観にいって、調べ学習の発表をみて驚愕した(もちろん、できていないことに、ですよ)ことがきっかけだったそうだが、つまり、知事は、その発表ができていない、ということがわかる(かつ、それはまずい、ということがわかる)だけの力があったということである。佐賀のもと知事は、知事になったとき、ブレインに図書館の館長を一人、入れた。なんのためかというと、自分専用の検索機関として…。
    何か知りたいときには、図書館と図書館員に頼むものだ、ということをこの知事も知っていた、ということになる。
    個人が収集できる情報などたかがしれている…勉強するときには、図書館や資料館を(そうして、そこで働く学芸員を)使うものだ、ということは、まっとうに勉強してきた人なら誰でも知っていることだ。
    けれども、東京と大阪の知事…諸外国にも名前が知れている日本を代表する大都市の知事たちが、こともあろうに、図書館や資料館などの学術機関をつぶそうとしているのだ。
    これが諸外国の議員や文化人の目にどう映るか、を考えると、かなり……恥ずかしいことなんじゃないかと私などは思ってしまうのだが、本人たちはそう感じないんでしょうかねえ……。でも自分から、私は勉強してきませんでした、と白状したようなもんなんですけどね。
    大阪などは、文学館があるからといって、子どもたちの学力があがったわけではない、といってるそうだが、さすがに東京は、子どもたちの学力低下を世田谷文学館のせいにはしていない……まだ…。
    まぁこのことに関しては文学館のほうにも、もっとやりようはあったかもしれない、とは思う。
    世界に目を向けた仕事をしてきたために、肝心のお膝元の大阪の子どもたちや大人に、あまり還元してこなかったかもしれないからだ。
    残せ!と叫ぶときに、残したらこんなに大阪の、お金を出してくれる人々の子どもたちのお役にたちますよ、というアッピールのしかたはないものだろうか?
  • パステル絵描き/5*SEASON

    小さい人を守ってあげたい、育てたい、大事にしたい、
    こんな想いは人間がもっている一番の魅力ではないでしょうか。

    小さな人が集う『大阪府立国際児童文学館』を守らずして、
    何のための「大阪再考」なのでしょう…?
    マツリゴトとは小さく弱い立場の人間を守るために機能すべきです。
    小さな感性の損失は、大きな文化の損失につながりませんか?
    ブルドーザーで大阪を平地にするような改革の後に、
    “大きな幸せ”はありえない。

    京都生まれの京都育ち、現在は東京住いの私の耳には
    これまで『大阪府立国際児童文学館』の存在は届いていませんでした。
    ああ、もったいないことをした!
    今度、遊びに行かせてください。そのためにも存続を!
    行ったことのない身ではありますが、
    1冊1冊に愛情をかけ、本の軌跡を残されている姿勢に共感を覚え、
    ここに私の小さな感性を残させていただこうと思いました。

    ピンチはチャンスの裏返しでもあります、
    これを機会に『大阪府立国際児童文学館』が全国の名所となりますように!
    もっともっともっと自慢しましょう、『大阪府立国際児童文学館』!!
    世界遺産に匹敵するんじゃないですか、『大阪府立国際児童文学館』!!!
  • 野上暁

    大阪国際児童文学館の存続を切望します。
     当館は通常の図書館と違って、これまで消耗品として扱われてきた子ども雑誌やマンガをも丹念に収集し、体系的に整理保存してきた子ども文化の殿堂であり、他に類のない研究施設でもあります。とりわけ、膨大な紙芝居のコレクションなどは、今後もほとんど入手不可能な、貴重な文化遺産ともいえるでしょう。
     現在、世界的にも注目されている日本のマンガやアニメの研究にも、当館の存在は貴重であり、内外からも注目されています。
     世界に比類ない当館の存続は、大阪府の誇りであり、大阪府が世界に向けてアピールできる貴重な事業であることを再認識し、ぜひ再考をお願いいたします。
  • 河野孝之

    大阪府立国際児童文学館の存続に関しての意見を述べさせていただきます。

    私は、埼玉県在住で児童文学の評論・研究をおこなっており、特に中国語圏の児童文学および日本の旧植民地下(おもに中国大陸、台湾)での児童文学状況について研究しているものです。大阪へは、大阪国際児童文学の資料を閲覧するためだけに毎年のように訪れています。仕事などパブリックな機会は別として個人的な意思で大阪を訪れる理由の唯一無二の理由となっています。

    大阪維新プログラム案によれば、大阪府立国際児童文学館(以下、児童文学館とする)は、廃止し、資料は大阪府立中央図書館に移管・管理し、財団法人大阪国際児童文学館への委託業務は廃止となっています。これらの案に関して、以下の理由で私は反対いたします。

    (1) 児童文学館は、図書館ではなく資料館であり、中央図書館では運営は担うことができないこと。ノウハウの蓄積や専門性が失われることへの損失への危惧。

     維新プログラムによれば、児童文学館を図書館に類する施設と判断して類似施設として府立の各図書館などをあげられていますが、それは違っています。児童文学館は東京の近代文学館や神奈川近代文学館などのような本の博物館であり、図書の閲覧に限らず、その資料の保存と公開と研究をはかる文化的価値の発信基地です。それも児童文化(児童文学と冠していますが、それは広義の意味を含んでいます)に特化した世界にいくつもない施設です。図書の保存方法にしても一般の図書館では、本の箱やカバー、帯などを処分し、補強の透明カバーや蔵書印、バーコードの設置など装備をおこない、現物保存はしていません。また雑誌などは、数冊まとめての合本化などをおこなうなど資料の実質破損および資料的価値の喪失がなされています。私が東京の国立図書館などの資料にあきたらず、大阪国際児童文学館へわざわざ足を運ぶのもこの理由からです。たとえば、石森延男という文部所にも勤務して国語教科書の編纂や児童文学の創作、研究を幅広くおこなった作家、研究者が旧満洲で編纂した「満洲文庫」(全12冊)という叢書があります。これは石森が満洲で刊行して、石森が帰国後、日本で「東亜新満洲文庫」として再刊されました。これは国会図書館(現在は、国立国際子ども図書館)にもありましたが、当然の如く箱などの付属物は破棄され、蔵書印などで一部が判読不能になっています。しかし、児童文学館には箱もあり、同じ巻でも違った判も保存しており、その発行形態などを知る上で大変参考になりました。もし、これが図書館としての保存になれば、結果的には破損されたり、同じ巻の本だからといって処分される可能性を恐れます。これは、資料館としての児童文学館の管理方法とノウハウを蓄積した専門員がいてこそのものです。図書館司書とは、また違った専門性が特化された資料館としては必要です。

    (2) 資料の多くが、国内外の寄贈によっていることに対しての責任放棄をその価値を減ずることになることへの危惧。

    私も大阪府立国際児童文学館の設立趣旨に賛同して中国圏児童文学に関する資料を寄贈してきました。また中国や台湾など東アジア圏の児童文学作家や研究者、出版人に有効利用されることが保証されている施設であり、国際交流のために寄贈することを勧めてきました。こういった人々の好意や責任を放棄するような形になることは、大阪府としても日本国民としても考慮に入れるべきことだと考えます。こういった寄贈図書を中央図書館に移管されたとして責任もって対処していただけるのでしょうか。

    (3) 府の図書館への移管により国内外の施設にない資料の死蔵による利用の制限及び資料の破損、散逸の危険性の危惧。

    大阪国際児童文学館には国内の一般の図書館にはない国内外の貴重な資料が数多くあります。国立国会図書館には基本的には日本国内で発行された図書、雑誌しかありません。例えば、(1)にも述べました石森延男編纂の旧満洲で刊行された「満洲文庫」は、大阪国際児童文学館にしかありません。日本で再刊された「東亜満洲文庫」は国会にはありますが、関東州という「外地」で刊行された自費出版めいたものは、はなから保存していません。また児童文学館には、石森が発行していた個人発行雑誌である「新童話」なども保存されています。こういった資料を破損散逸せずに一般に公開されることができるのでしょうか。少なくとも移管作業後、公開には数年かかる可能性があります。また移管作業による紛失破損は、こういったパンフレット形態のものにおこるのが通常です。そんなリスクは避けていただきたい。

    (4) 年間2億9千万円の運営費のうち9千万円が民間の出資によるものであり、府の施設に関わらず三分の一が民間に依存していることなど官民協力の喪失への危惧。

    維新プログラムや財政再建プログラムなどでは単に2億円の損失と示されていて大阪府が一方的に財政負担ばかりを抱え込んでいるかのような記述は不適切です。少なくとも図書館に移管されれば、資料の寄贈や民間からの援助はなくなります。はっきりいえば、お金を出さなくても収集できていたものがなくなるということです。実は損しているように見えていただけで、実質は得していた構図をなくしてしまうのは、目先のことばかりを見るという行為にほかなりません。

    (5) 府民サービスに留まらない大阪府の国内外に誇れる顔としてアピールできる文化的存在および国際交流をはかる他の自治体にない貴重な存在の喪失とその金銭的価値の損失への危惧。

    府民サービスを図る上で、万博記念公園という遠隔地より大阪府の中心部に移管するほうに利便性があるかのような記述はプログラムにはありますが、それは葉を見て木を見ないという一部を見て全体を見ないいいようです。万博記念公園に近い府民は府民ではないといいうのでしょうか。府民がすべて中心部に集まるかのような言いようも勘違いもはなはなだしいと思います。また児童文学館は国際と冠している通り、海外にもその存在が知られている存在です。関西空港や大阪空港からの利便性が現在地の方がすぐれています。私も割引料金や空港からのアクセルの面からも空路を利用する方が多いくらいです。また、落ち着いて資料を閲覧するのは現在地の万博記念公園内がふさわしいと感じます。さらに海外からの訪問者に万博記念公園という大阪が世界との交流をおこなった地で迎えるということは、大阪の存在をアピールする意味からも充分存在意義があるはずです。この存在をなくす行為は、貴重な国際交流の象徴的存在の喪失と見えない金銭的価値の損失になるといっていいでしょう。

    以上の理由で、廃止、中央図書館への資料の移管、財団法人の委託の取りやめについて反対いたします。

  • 東京杉並区:N.Y

    国際児童文学館の存続を強く希望します。
    私は東京在住ですが、国際文学館は大阪府民のみならず、世界に誇れる全国民の財産です。財政的負担を理由にして、国民の財産を勝手になくしてしてしまうことは、まさに日本の伝統文化そのもの破壊です。何でも切り捨ててしまうのではなく、存続のための検討を十分に行ってくださらないと、納得できません。
  • フリー編集者、ライター 細江幸世

     大阪府立児童文学館の存続を強くお願いします。

     知事は同様の施設は東京にも大阪の大学にもあるではないかとおっしゃっていますが、大阪児童文学館はその中でも一番の収蔵規模を誇り、国内外にアピールするコンテンツ(もの)を持っている館です。そのコンテンツを今まで以上に活用する機は熟しているのに、そのまま図書館の倉庫に眠らせ、継続性を断ってしまうのはあまりにももったいないことです。文学館の持つビジュアル資料のすごいところは、そのものだけでもアピールする力を持つと共に、それを読みとく視点が新しくなれば、その資料もまた何度でも脚光を浴びるところです。そういう意味ではまだ児童文学館での研究は発展途上であるし、その研究をアピールする術にも、もっと工夫の余地があると思います。編集者としては、この宝の山から、広くみなに手渡したいものを企画し形にすることで、文学館の存在意義や自立性を少しでも高めるお手伝いができるのではないかと思っています。今までの活動、研究を存続できる児童文学館であれば、ただの金くい虫ではなく、自分でお金を作る力のある場所でもあるのだということを知っておいてもらいたいです。
     児童文学館は大阪で子どもに本を手渡す活動をしている人びとや書店、子どもの文化、生活に関わる仕事をしている人たちにとって、象徴のようなものになっていると思います。直接、館に足を運ばなくても、子どもの文化を尊び、子どもの育ちを見守っていく姿勢、子どもの好きになったものをしっかり見つめ、そこから子どもの思いを汲み取ろうとするまなざしは、館のあり方と同じです。子どもは自らの思いを言葉にしてきちんと語ってくれることの少ない存在です。だからこそ、大人は子どもの様子から、夢中になり、笑い、だまりこませるものを見つめ、解読しなくてはならないのです。そういう子どもの視点を獲得することで、私たち大人の毎日も豊かになることはいうまでもありません。館を否定することは、そのような思いや考えで活動されてきた方たち(それは大阪のみならず、わたしたち子どもに関わる人びと全て)を否定することにもなるのではないでしょうか。納得がいきません。
     わたしは高校生のころ、何度も万博公園に遊びにいき、民族博物館や現代美術館(これもなくなってしまいましたね)をながめ、ふらふら歩きながら建設中の児童文学館をみて、へえ、児童文学を研究したり、集めたりする仕事があるんだ、と驚き、のちに子どもの本の編集者になりました。アクセスが悪い、来館者が少ないということが今回の廃館の理由に挙げられていましたが、あの豊かな空間のなかにあるからこそ、ゆったりとした子ども時間に還れるというものではないかなあとも思っています。
  • ギャラリー佑英・大森俊子

    今まで目立った活動はなかったようですが、廃館案が出てからいろんな文書を 読んでいると、ちゃんとおいておかなければならない施設です。
    地味でも収益をあげなくても。必要な事っていっぱいあると思います。
    もちろん財政のひっぱくの事を考えたら、この様な施設は切り捨てないといけ ないという意見が多いでしょう。
    でも、大人は、子供達に何を教えられるでしょうか!
    大変な時こそ、大人は、君達にこれを残していくという姿勢が、今の子供達へ の大事な教え、しつけと考えます。
    こういうことを教えてもらえない大阪府の子供達は可哀いそうです。損得勘定 を教えるのですか!
  •  静岡大学 名誉教授 電子工学研究所 客員教授 中西洋一郎

    大阪府立国際児童文学館の存続を願います。

     大阪は独特の上方文化や朝比奈隆・大阪フィルのような音楽文化等に象徴されるように幅の広い文化を育んできました。このような大阪の高い文化環境の中で「大阪府立国際児童文学館」というユニークな施設がつくられました。
     この施設は単なる図書館ではなく、図書,雑誌だけでなく原稿,原画等70万点に及ぶ広範な児童文学・文化にかかわる膨大な資料を所蔵する国際的規模の国内唯一の研究機関ですから,統合廃館されてしまうと研究図書館としての特性が失われてしまいます。

     私は工学系の元大学教員です。次世代の優れた人材の育成は大学教員の最重要任務です。私は単に知識や技術を教えるのではなく,未知の世界を切り開く夢と情熱を持った人間を育てることに力を注いできました。しかしこれは大学だけで達成できることではありません。いやむしろ柔軟な頭脳の時にこそ夢や情熱を持たせるような教育が必要です。

    (1)自分が勉強するのは大人になった時,よい生活ができるようになるための手段なのではなく,未知の世界に踏み入り,自分の能力を活かして社会に貢献できる力をつけること,
    (2)知らないことがわかり,新しい世界が開けていくってこんなに面白い,すばらしいことなんだ!みんなと気持ちを通い合わせるってこんなにすてきなことなんだ!と伝えることが子供から大人に至るまでの教育の根本ではないでしょうか。

     我が国は幸いにして,平和な民主国家が維持されています。これは「教育は百年の計」の成果であり,世界に誇ることのできるすばらしい成果です。しかし,最近はどうでしょうか。命を軽視した悲惨な事件が続発しています。時間をかけて人間を育てるという教育の理念が薄れてきているのではないでしょうか。従って今正に,夢や情熱を持った子供を育てることが不可欠です。豊富な資料,利用者による豊富なデータそして優れた研究者を有する国際児童文学館こそが我が国を再び活気のある国にするために最も必要される施設ではないでしょうか。
     財政再建の第一歩は無駄を省くことです。しかし,無駄どころか我々にとって欠くことのできない文化のための貴重な施設を廃止することは計り知れない損失です。厳しい財政再建の中ではありますが,我が国を活性化させるために是非とも「大阪府立国際児童文学館」を存続させて下さい。
  •  K.H.
    国際児童文学館の存続を強く望みます。

    橋下知事は、「子どもが笑う大阪」というキャッチフレーズを選挙の時に掲げておられました。7人のお子さんの父親であり、子ども思いの方であると思って投票された有権者も多かったこととでしょう。

     児童文学というのは、児童文学の専門家のためにあるのではありません。子どものための文学です。子どもたちのためにあるのです。

     日本と世界の児童文学のすばらしい遺産を専門的にしっかりとした形で保存し、今後の創作、研究、教育等に生かしていくために、国際児童文学館は大変重要な役割を果たしてきました。これは大阪がおおいに誇っていい施設です。これは有機的な生き物のようなものですから、資料だけどこかに保管すればいい、というものではありません。それは教養のない、数字しか考えていない人が言いそうな浅薄な考えでしかありません。国際的にも知られた大阪、それも大阪府知事というトップはそういった浅薄な考えに影響されるべきではなく、それは退けて、もっと文化に対するセンスと、子どもたちに対する愛情がほんものであることを示して頂きたいと思います。

     財政再建が大事であることは言うまでもありませんが、少しでも無駄と思われるものは何でもつぶしてしまえ、という姿勢は感心しません。それでは非常に価値のあるものさえも失ってしまい、後になってなぜあの時つぶしてしまったのか、と悔やむことになるに違いありません。あのような高い評価を受けている、児童文学にとって重要な施設を、大阪府知事がつぶしてしまった、となると、その知事の見識と教養のなさがいずれ批判されることになるのは目に見えています。高齢の知事ならば別ですが、まだ若くこれから数十年は活躍されるであろう知事は、そうした「見識と教養のない政治家」という批判を今後ずっと受け続けることになっても構わないのでしょうか。

     それよりは、トップの決断として、この施設をむしろ大いに誇るべきものとして、とりあえずはこのまま存続させ、財政的に余裕が出てきた将来にはむしろ充実させていく、という判断を下されれば、「子どもが笑う大阪」との整合性もあるし、心ある人々から多くの支持を得ることができるでしょう。

     子どもたちの生活環境がゲーム、ケータイ、パソコン、テレビなどで支配されていいはずがなく、児童文学はこれからますます重要になる一方です。国際児童文学館を存続させて下さい。
  • スペイン語の子どもの本専門店 ミランフ洋書店 宇野和美

     国際児童文学館は、全国でも類のない施設だと思います。
    1つには、所蔵資料の貴重さにおいて、もう1つには、それを支えるメディエータとしての専門員を擁していることにおいて。
     児童書資料というと、児童文学の関係者だけに益するものと思われがちですが、各時代の世相が映しだされた、ビジュアルな要素の多い子どもむけの出版物は、歴史や社会学研究の資料としてもたいへん貴重です。ですが、それらの資料も、ただ所蔵していただけでは生かされません。長年の経験をもつ専門員によって、活用され、より高い価値が生みだされます。
     また、専門員の存在は、読書教育の推進のためにも大きな力となるのではないでしょうか。学力向上のために不可欠な読解力を育てる読書教育の推進には、文部科学省も自治体も腐心していますが、学校でも公共図書館でも専門性の高い専従者は少なく、なかなか継続的な施策がとれないのが各地の現状です。そんな中、的確なアドバイスを与えられるベテランの専門員がいるということは、教育日本一を目指す大阪にとって大きなメリットであり、他県の者にとってはたいへんうらやましいことです。
     未来のために、大阪府立国際児童文学館の存続を切に希望しております。
  • 横川寿美子

     大阪国際児童文学館の存続を求めます。児童文学館は来年開館25周年を迎えます。存廃を検討される際には、過去の経緯も十分に考慮していただきたいと思います。
     開館当初、現在の所蔵資料70万点の基礎となった12万点の寄贈者・鳥越信氏に、府は「資料を整理・公開し」「引き続き収集する」と約束しました。この約束の下に、25年間、全国の個人・団体・出版社は児童文学館に資料を贈り続けました。その数は総資料数の約7割に及びます。法律的なことはわかりませんが、社会通念上は、鳥越氏等寄贈者には資料の行方や活用方法について意見を言う資格があり、府にはそれら意見に真摯に耳を傾ける責務があるのではないでしょうか。
     また今回の案では児童文学館の研究機能が否定されていますが、当初、図書館にない研究機能や国際的視野を同館に持たせることは府の方針でもあったはずです。通常の図書館機能だけの同館であったなら、はたして、今はいずれも故人となられた桑原武夫氏(初代理事長)、司馬遼太郎氏(第2代理事長)、菅泰男氏(第3代理事長・初代館長)等が、府の招請を受けて任に着かれることがありえたでしょうか。
     時が流れ知事が交代すれば府の方針も変化して当然ですが、それでも、府政には最低限の一貫性が求められましょう。そうでなければ、府民はとうてい府政を信頼できません。私は府民の一人として、府が過去の約束を守り、道義的責任を果たすよう強く求めます。
     児童文学館を廃する理由に利用者の少なさがあげられていますが、交通の不便な万博公園に同館の設置を決めたのも府自身です。児童文学館はそうして与えられた場所で府の方針に従って職務に励み、吹田の地に根を張りながら、府の外へ、国の外へと枝葉を拡げました。今回様々な媒体に寄せられた多くの意見が示すように、同館の資料収集・整理・公開のシステムと職員の専門性(=研究機能)は国内外の人々から高く評価されています。
     このように四半世紀にわたり、府の方針に沿って立派な成果をあげてきた施設が、当の府から褒められるどころか廃されようとする事態は、社会通念から見ても正しいこととは思われません。廃止を前提にするのでなく、「どうしたら存続させられるか」という観点からの再考を切に願います。全国の多くの人たちが、喜んで協力するはずです。
  • おくやまうゐの

    児童文学館の廃館に反対です 

    私は専門家でもなくごく普通の主婦ですが、
    今回の廃館になるお話を最初に聞いたときは胸のつぶれる思いでした。

    橋下改革、既得権益に切り込むかと期待して応援していますが、
    ココに関しては削るところを間違ってるのは素人の目から見ても明らかです。

    でも、今回のおかげで児童文学館について多くのご意見を知ることができ、この施設がいかに重要で素晴らしいものかがよくわかりました。
    そしてまた大阪府がこんなに貴重な宝物を管理されていたことに改めて感謝しました。

    「児童文学」はわが国の誇りある文化財産であり
    この児童文学館は有形でありつつも無形財産であると私は考えます。

    1度失ってしまった過ちは容易に取り戻すことが出来ない惨事になると思います。

    未来ある子どものための貴重な施設です。

    反対の要望書に連なるお名前を拝見していると、日本を代表する文化人の方々や研究されている方々がたくさんおられます。

    廃館ではなく、むしろこのような方々にもご協力いただいて、大阪府はこの児童文学館を活用した新しい教育の取り組みを実践され、全国から注目されるモデル教育方法になることを期待しています。  
  • 令丈ヒロ子

    大阪国際児童文学館存続を求めます。

     大阪府は、今、ものすごくお金が足りず、一つの家にたとえたら「火の車」で、借金を重ねて子どもにご飯を食べさせている状態なのは、わかります。衣食住にかかわらないところの経費を節減しようというのも理解できます。
     でも、大阪国際児童文学館は、世界に誇れる施設であり、全世界でここにしかない資料の数々は「大阪府民」だけのものでない。たとえはよくないですが、貧乏な家だが、国の宝を預かる役目をさせてもらってるわけです。それを捨てると宝は二度ともどりません。
     しかもこの宝は、ただ貴重だとか珍しいとかいうものではなく、この先、国をになう子どもの人格形成の根になるものなんです。ここにある資料を助けにして、大勢の方が子どものための文化形成にかかわる大事な仕事をしている。だから大阪府だけでなく、国を作る、ほかにかわりのない財産なんです。
     今まで、こういう宝を大阪府が預かっているということを意識せず、専門家以外はよく知らない、府民にも、日本中の人にも、世界の人にも、もっと大きくアピールしなかったことのもったいなさに、今、気がつくべきではないでしょうか。
     こういう逼迫した時こそ、大阪府を将来助けてくれるものを見定めないと、文化的にも生活も大阪はまだ貧乏になると思います。
     移転しても、年間経費節減よりもお金がかかります。
     しかも宝をかなり捨てることになり、単なる引っ越し貧乏だけの話ではすみません。
     また、このことを見ている他府県、他国の大勢の方々が、国と、国の未来を支える文化財産を「金に困ったから」と捨てる大阪府を信用しなくなるのが怖いです。
     知事が本当に、この財産を大阪府で維持できないと決断されるのならば、府民としては仕方がないです。
     しかし維持できないと認めることと、捨てるという決断はイコールではないはずです。
    捨てる前に、ほかにだれかそれをあずかってくれる相手をさがす、部分的に維持できるのなら残りを助けてくれる団体をさがす、そのために国際児童文学館の価値を多くに知らしめるなど、決断の前にできることがあるのではないでしょうか。
     そういう努力をするだけした上で、どうしてもほかに道がないというのなら、そのいきさつの全てを公にしてほしいです。
     この決断には、国の未来にかかわるんだということ、大阪府の信用がかかっているんだということをどうか、知事に感じてほしいと思います。
  • 中由美子

     私は中国、台湾、香港などの子どもの本の翻訳をしている者で、各地の児童文学作家や画家、編集者たちと交流があります。その人たちが来日して、一番に見学したいというところが、万博公園にある大阪国際児童文学館です。大阪国際児童文学館は、もうすでに大阪府だけのものではなくなっているのです。アジアの、いいえ世界中の子どもの本に関わる人たちにとって大切な存在なのです。
     大阪国際児童文学館が府民の役に立っていないから廃止(中央図書館への移転は廃止と同じことです)するというのは、あまりに短絡的ではないでしょうか。大阪は上海と姉妹都市の関係にあり、先だっても中国の要人が来阪、知事とも親しくお話をされたようですが、そういう「政治的な友好」だけでなく、大阪国際児童文学館がこれまで進めてきたような子どもの文化や文学、美術等を通じた友好が、これからは更に求められるようになると思われます。大阪国際児童文学館の「外国人客員研究員制度」も日本と世界を結ぶ大切な役割を果たしています。客員研究員は帰国後、自国で日本の児童文学を広めたり、両者の比較研究をしたりと、相互理解を深めるのに大いに役立っているのです。
    今、目先のことにのみ囚われて、大阪国際児童文学館を廃止したら、将来に禍根を残すことになるでしょう。長年蓄積した財政赤字を解消するのは大変なお仕事だと思いますが、真の政治家とは百年後、千年後まで思いを致すべきものではないでしょうか。
  • 浅岡靖央

     児童文化史の研究者として、大阪国際児童文学館の廃止に反対し、その存続を強く希望いたします。
     大阪国際児童文学館は、童話や童謡など児童文学だけでなく、マンガ・アニメはもちろん、紙芝居・児童演劇・玩具など、幅広く子どものための文化=児童文化の全般に関わる貴重な資料を保存・研究する機能を持つ、国内唯一の施設です。そして、そうした施設が大阪に存在していることは、歴史的に見て決して偶然ではないのです。
     というのも、日本における児童文化の歴史において、大阪はこれまで独自の輝きを放ってきた土地だからなのです。比較的よく知られているのは、明治44年に始まり、大正時代に一世を風靡した講談読物「立川文庫」の刊行でしょう。さらに、これはまだほとんど知られてはいませんが、実は「児童文化」という言葉を最初に使ったのも、大阪にあった児童文化協会という団体だったということが、最近の研究で判明しています。大正11年のことです。昭和に入ってからも、たとえば当時の大阪中央放送局(JOBK)はラジオ番組「子供の時間」によって、「子どもの放送は大阪」とまで言われました。また、童話では大阪童話教育研究会、児童劇では大阪童劇協会(劇団ドオゲキ)など、全国に影響を及ぼしたさまざまな団体が、大阪で誕生してきたという歴史があります。
     このような歴史的な視点から言えば、大阪国際児童文学館は、いわば平成の大阪発・児童文化の中心的存在として、その役割にますます期待が高まっていると言えるのです。
     ごく最近、先年亡くなられた関東在住のある児童劇作家の御遺族から、遺された書籍類の整理を依頼されました。膨大な貴重資料に驚かされましたが、その際「是非、大阪国際児童文学館に寄贈してほしい」という遺言が残されていたことを御長男からうかがいました。今回の廃止という方針によって、その遺言も宙に浮いてしまいました。
     どうか、児童文化の歴史と未来のために、大阪国際児童文学館をこれまで通りの形で存続していただけるよう、心よりお願い申し上げます。 
  • 埼玉工業大学人間社会学部非常勤講師 久米高史

    大阪府立国際児童文学館の存続を強く要望いたします。

     私は、経済史の専門家で、児童文学については全くの門外漢ですが、日本国内、また世界各地の様々な専門的アーカイブを存じ上げている点から提言をさせていただきたいと思います。

    大阪府立国際児童文学館は、日本でも最大の70万点にも及ぶコレクションを有しており、日本のみならず世界中の児童文学作品、漫画、アニメ等が収蔵されています。単に図書、雑誌だけでなく、原稿、原画、同人誌、紙芝居、ポスター、チラシ等の貴重な資料も含まれ、18世紀、19世紀の、ここでしか見ることのできない非常に貴重なものも多々あります。

    国際児童文学館は単なる図書館ではありません。資料の収集と研究、その開示を行うことを目的し、研究職の専門職員を配した研究機関でもあります。近隣の国立民族学博物館と同様の機関とイメージしていただければわかりやすいと思います。そのため、大阪府立中央図書館では、その機能を代替させることは不可能です。この国際児童文学館は、「大阪府立」という名前こそついていますが、大阪府民のみならず、日本国民の財産でもあります。2000年に開館した東京の国立国際子ども図書館は、大阪の国際児童文学館を参考に作られており、こちらの収蔵資料はまだ40万点で、大阪のものには遠く及びません。また、世界的な潮流としても、専門的なアーカイブを作り、文化的資料を保存していこうという動きがあります。

    知事の改革案に示されているように、既に書庫が飽和状態に近い大阪府立中央図書館(収蔵スペースがあと40万点分しか残されていない)に資料を移管する場合、書庫の増築・資料の移転等にかかる費用は、国際児童文学館の現在の年間運営費の2億円を大幅に上回るもの(移転費、書庫改修費等合計4億3千万円以上)との試算も出されています。書庫にも入れることができず、ダンボール箱に入れられたまま放置されるということにでもなれば、資料の劣化は避けられず、本当に資料が死蔵化されることになります。さらに、現在、国際児童文学館が専門施設であることから受けられている民間からの資料の寄贈と資金援助(合計9000万円)が、今後受けられなくなります。

    さらに、この国際児童文学館がなくなれば、館が主催している国際グリム賞やニッサン童話と絵本のグランプリなどの国際的なコンクールが開催できなくなり、こちらも大阪府にとって大きな文化的喪失です。

    以上の点から、次の4点を提言いたします。

    @大阪府立国際児童文学館を現状のまま、すなわち、資料の移転も専門職員(研究職・学芸員・司書)の解雇も全く行わず、存続させる。

    A大阪府立国際児童文学館が日本全体のみならず、世界に誇れる施設であることを、知事自らが、日本及び世界にアピールする。

    Bその上で、館の運営費を国から補助してもらう、あるいは民間から出資者を募る。(私は、国立民族学博物館で共同研究員をしておりました関係で、ここに英国議会資料が京セラの寄付によって収蔵されることになった経緯をよく存じ上げています。このケース同様に、大阪府の企業・財団に限らず、日本全体に呼びかけることによって、出資者は集まると思いますし、サッカーのJリーグのように、広く府民に出資サポーターを呼びかけることもできると思います)

    C国際児童文学館のみならず、館の所在地である千里万博公園の存在意義をアピールすることによって、来館者を増やすとともに、「水都大阪」などの大阪の町興しの一環とする。

    学問の自由と独立は、何があっても守られねばならないものと考えます。市場経済的な原理を持ち込むことができるようなものではありません。橋下知事および府政改革プロジェクトチームには、ご再考くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
  • 井上征剛

     私は現在、ドイツのライプツィヒに留学中です。大阪府立国際児童文学館の存続について、知事室への投稿を少し補足する形で、ドイツからの意見を述べさせていただく次第です。
     現在、ドイツをはじめとするヨーロッパ各国では、子ども文化や児童文学への関心が急速に増しています。文化や社会の将来を構築する上で、どの芸術ジャンルも子どもとの関わりをどのように持つかが非常に重要な話題となっています。劇場や音楽団体は子どもを対象にした催しを重点的に行っていますし、美術館では子どもを対象にしたワークショップが頻繁に行われています。また、博物館では子ども自身が展示内容を学んでプレゼンテーションするという取り組みが多く見られます。
     これらの動きは、もちろん教育的な意義を考えてのことでもありますが、社会の各方面において、子どもについて研究し考察することの意味が急速に増していることを受けてもいます。
     このような状況を見るに、子どもの文化に関する情報と研究の中心施設として機能している大阪府立国際児童文学館の意義は、現在でもすでに大きなものがありますが、今後国際的視点からみて、さらに大きくなっていくことは間違いありません。
     また、日本でもしばしば報じられていますが、日本のマンガやアニメがヨーロッパ各国で注目を集めています。ライプツィヒでも毎年3月には大規模な本の見本市が開かれますが、日本のマンガやアニメはその中の重要な部分を占めています。今年は、ドイツの全国放送が、見本市の開催責任者とファンを迎え、見本市の注目点として日本のマンガやアニメについて議論を行う、ということもありました。つまり、これらのジャンルは単にそのジャンルのファンのみならず、社会や経済においても大きな影響を持つという判断を、ドイツの全国メディアや経済界が下しているわけです。
     日本のマンガやアニメの受容は、さらにいわゆるライトノベル、また十代を対象にした文学作品への関心へともつながり、これらのものの輸入にもつながりつつあります。ライプツィヒ大学の日本学学科には、これらの文化を愛好することから日本について学ぶことをはじめる学生が非常に多いと聞きます。また、フランクフルトでは複数の博物館が提携して、日本のマンガやアニメをテーマとした大掛かりな展示会が行われて、各種メディア、また街の人々の注目を集めています。日本の企業も出資していると聞きます。
     大阪府立国際児童文学館はこのようなメディアについての資料と研究手段も集積した施設です。つまり、単に教育やジャンルの問題だけでなく、ヨーロッパの社会や経済からみても大いに注目されているテーマの研究材料と研究者が、大阪府立児童文学館には集められ、機能しているわけです。
     今まで大きな役割を果たし、今後国際的にさらに注目されている施設、海外との受信・発信もできる施設を、まともな論議もなく別の施設と統合し役割を縮小させることは、大阪および日本の利益を大きく損なうものとしか言いようがありません。このような施設を自分から投げ捨てることをドイツの人たちが知ったなら、それが文化関係者であろうと経済関係者であろうと、非常に驚き呆れるでしょう。今後大きな可能性を持つコンテンツを自ら放棄するのが大阪という自治体であるということが知れ渡れば(すでにいくらかはそのような情報が伝わりつつありますが)、ヨーロッパの人々や各種機関が大阪という自治体を今後どのように見ることになるでしょうか。繰り返しになりますが、これは単に児童書だけの問題ではありません。大阪や日本の国際的な役割に関わる問題です。
     私は大阪在住経験はありませんが、そのような事態が今回のな判断によって招かれることを非常に危惧します。逆にいえば、今からでも大阪府立国際児童文学館の運営を現状のまま維持するという決断がなされるならば、それだけの判断能力と決断力があることは、広い注目を集めるでしょう。短期的にも長期的にも、大阪にとって大きな利益になります。以上のことをお考えいただき、大阪府立国際児童文学館の運営を現状のまま維持するという決断をしていただきたいと強く要望します。
  • わしこ

    財政の大幅な削減を謳い文句にさまざまな改革に乗りだしている大阪府の橋下知事が、「大阪府立国際児童文学館」の廃館を決断した事を知った。当該館の事業を府立中央図書館に移転することによって運営の効率化を図り、さらに類似施設や代替施設でその事業を補完するという意図があるようだ。

    しかし、国際児童文学館で行われてきたさまざまな事業が、図書館などで肩代わりさせることができるという知事の見識、判断そのものに多くの識者が疑問を投げかけているのは衆知のことである。今回の知事の決断はそのような疑問や批判に答えていないとの評価も当然ある。大阪府立国際児童文学館は、図書館ではなく、図書館的機能を有した資料館と考えるべきであり、橋下知事はこのあたりの点についてまったく理解できていないように、私にも思われる。現在収集されている資料の70%は「寄付」によって賄われているというし、もともと、児童文学館の核となった膨大な資料は個人(鳥越信氏)のものである。

    国際児童文学館に大阪府の財源が年間2億円使われているというのは事実であるが、予算の半分近くの寄付や寄贈があることも忘れてはならず、いわば官民共同で運営されてきたといっても良い。また、図書館ではまったく期待できない出版社からの寄贈があるというのもその大きな特徴であろう。出版社が寄贈を行ってきたのも、自社の出版物が「児童文学(児童図書)コレクション」として整理、保存されることが期待できたからであろう。つまり、大阪府立国際児童文学館に所蔵される資料やその核をなすコレクションに関しては、大阪府のものであって大阪府のものではないともいえるだろう。

    だから府民の「税金」を使いたくないという発想も生まれるのだろうが、いままでコレクションを維持してきた責任や意義についてもう一度深く考えて、再考していただきたいと心から思う。資料の収集、整理、保存は継続して行うからこそ、その資料が「生きて」、意義がある。失われてしまったものを回復することは不可能である。

    そういえば、「オズボーンコレクション」で名高いトロント公共図書館にも同じような問題が起きた事を思いだした。やはり、直接住民に寄与しないコレクションをトロント市として維持すべきなのかどうかという点が問題にされて、一時は「オズボーンコレクション」存続の危機の声も聞こえてきたことがあった。幸い、「オズボーンコレクション」はほかのコレクションとともに、トロント公共図書館「リリアン・スミス分館」に保存されて、世界各国から閲覧者を受け容れている。

    折しも、2010年が「国民読書年」として決議されたことを知ったが、「子ども読書年」とか「国民読書年」、また、「子ども読書推進法」や「文字・活字文化振興法」といった一見華々しいバルーンをあげるのも結構だが、「府」がたいへんならば、「国」や「市」で援助できるシステムをつくって、地味に活動してきた組織を援助していただきたいものだと思うのである。
  • 小口大城

    大阪府立国際児童文学館の廃止案に反対します。国内のみならず世界に誇れる施設を擁しているはずなのにそれを後先見ずに自ら失くしてしまおうとする考えは理解出来かねます。
    一度潰してしまった文化はそう簡単に元に戻すことは出来ません。また書籍や資料という物質的なものにとどまらずその道に精通した専門家という代替が効かない貴重な人材も一度散逸してしまったら再び集めることは至難の業です。中央図書館にその機能を担わせるといってはたしてそのようなことが実際問題可能でしょうか。死蔵されてしまうのであればかえって無駄なものとなってしまうのではないでしょうか。
  • 神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授・目黒強

     府民の一人として、大阪府立国際児童文学館ならびに財団法人大阪国際児童文学館の廃止に反対します。

    館は資料を文化財として扱う方針から原形保存を原則とし、その運用は専門員によって担われてきました。PT案にあるように、中央図書館へ「機能」を移転するのであれば、文化財としての保存ならびに専門員による運用については、最低限保証されるべきであると考えます。

    年間2千万円相当の図書を館に寄贈してきた社団法人日本書籍協会は、PT案が実現した場合、寄贈を中止することを表明しています。書協が館の設立以来、4半世紀にわたって寄贈を続けてきたのは、館が書籍を文化財として保存し、専門員による運用が保証されていたからです。館の収集資料に占める寄贈の割合が6割であることを踏まえるならば、利用できる文化財の激減は避けられず、府民が不利益を被ることになります。収集資料の減少は、未来の子どもたちが文化財を利用する機会までをも奪うことに他ならず、熟慮いただきたいところです。

    専門員による文化財を活用した実践・調査・研究を通して館が社会貢献してきたことは、約7千万円の外部資金(平成19年度実績)を獲得していることからも明らかです。「ほんナビきっず」のような読書ナビゲーションシステムの開発は、専門員を有する館ならではの事業です。財団法人の廃止が専門員の解雇を意味するのであれば、専門員によるサービスの提供を得られなくなります。府民にとって損失であることはいうまでもありません。

    最後に、大学教員としての要望を述べます。「子どもの読書活動の推進に関する法律」の施行以降、政府は子どもの読書活動の支援に力を入れてきました。OECDによる学習到達度調査(PISA)における日本人生徒の読解力低下を受けて、文科省はPISA型読解力の育成を提案し、そのなかで読書活動の支援がより一層重点化されました。館を有する府は、子どもの読書活動の支援事業を全国的にリードすることができる立場にあります。館を活用した「教育による大阪府の再生」について、ご検討いただければと考えます。
  • 西田俊也

     児童文学館の廃止案を打ち出した知事に感謝しています。
     児童文学館をなくそうといわれなければ、どんなところなのかと興味を持って訪れることはなかったと思うからです。多くの人が反対されているので、なくなってしまうまえにいっておこうと思いました。間に合ってよかったです。なくなったあとでは体験ができない蔵書の数々を目にすることができました。昔買ったけどどこかにいった学習誌やマンガ雑誌に会うことができました。忘れていたいろんなことが心を過ぎり、子供の気持ちになって生きる力がわきました。
     館は静かで利用者も多くなかったです。無駄な感じがしました。あの無駄は心の余裕につながる無駄です。オアシスです。太陽の塔の近くにあることでいっそう、子供の過去現在未来が感じられます。素晴らしい場所に建ててくださったと過去の大阪の政治の判断にも感謝します。
     この気持ちをこれから訪れる人にも伝えたいです。さらにあともう一歩の努力を知事に期待します。
  • 福音館書店 童話セクション 松本 徹

    児童文学館廃館!? まずいぞ大阪こんなことじゃ!「維新」の名の下に、未来を担う子どもに関わる文化事業をつぶしにかかるとは、「改革」が聞いて呆れるというもの。なんでも「情報、情報」と上滑りな世相の中で、児童文学館は本を「もの」としてまるごと保存研究する貴重なスタンスを保つ施設でしょう。商都大阪がモノを大切にしないでどうする! 東京との差異化をこういうところで図ろうという才覚を見せてほしいものです。ぜひ再考を!
  • 伊東明美

    大阪国際児童文学館は、国際的規模で児童文学・文化関係資料を収集する国内唯一の研究機関です。 一般図書館とは別の機能を持っていますから、統合廃館されてしまうと研究図書館としての特性が失われてしまいます。日本国際児童図書評議会は、子どもの本に関する専門家の派遣、招聘による国際交流はしていますが、国内外の児童文学研究者に対して研修員・研究生としての研究の機会を開いている機関は大阪国際児童文学館の他にありません。また世界における児童文学研究者を対象とする国際的児童文学賞「国際グリム賞」を設け、隔年授与をしています。日本で唯一、世界の研究者にも開かれた研究図書館なのです。

     私はオーストリア国際児童図書評議会から短期奨学金を得たことで、マルティン・アウアーの勉強をすることができましたし、ミュンヒェン国際児童図書館の短期奨学金により、日本にはないベヒシュタインの資料を読むことができ、それがベヒシュタイン童話伝説集の出版になくてはならない役割を果たしてくれました。これを可能にしてくれたオーストリアとドイツに、そしてその文化政策に大変感謝していますし、高く評価しています。後に、翻訳出版された私の本を寄贈することで、本当にささやかですが、恩返しをすることができました。世界中で交流と相互理解を広げて行くためには、研究者の交換はどうしても必要なことではないかと思います。

     もし私の韓国の友人が、前から希望していた大阪府立国際児童文学館の研修員あるいは研究生として日本児童文学の研究をするチャンスを与えられたなら、やはり彼女も私と同じように、そのようなすばらしい研究図書館を持つ大阪に感謝し、また大阪と日本を高く評価することでしょう。そしてきっと研究報告と一緒に彼女の翻訳作品が届くことでしょう。
    外国の研究者を招くことによって、日本の児童文学を世界に知ってもらう機会は大きく広がって行き、児童文学館は国際的な文化交流に大いに貢献することになります。こうした事業は研究図書館だからこそできることですし、それが大阪をGDPの高さゆえではなく、都市としての文化的な高さ、品格で評価される街にしてくれます。こんなすばらしい研究図書館を持っていることは、大阪府民の誇りであり、また日本の誇りではないでしょうか。
  • 林さかな

    大阪国際児童文学館の存続を願います。

    私はいままで児童文学館を利用したことはありませんし、大阪府民でもありませんが、子ども時代から読んできた本、そして自分の子どもたちに読んできた本と深いつながりをもつ児童文学館をなくしてほしくありません。出版、映像など、子どもに関わることに専門的知識があり、膨大な資料もそろえてあるこの児童文学館は、「子どものため」であるだけでなく、長い目でみて館の仕事が日本の未来につながるからと思えます。
    厳しい財政難という現実の中、お金がないのにどう残していくかについて、もう少し時間をいただけないでしょうか。廃館の方向ではなく、支えていける指針を具体的な金額とともに検討し、道が開けることを切に望みます。
    子ども文化を大事にしていくことは、セーフティネットのひとつだと思います。それが未来を支える大人を育てていくことになり、大阪府の宝にもなるはずです。
  • くまがいマキ(東京都武蔵野市)

    大阪府立国際児童文学館の存続を強く求めます。廃館は、今までの府と民間と関係者による文化的継続を全て台無しにしてしまう愚行です。意義あるものは「残す」が、行政に求められる姿勢だと思います。民間においては採算性が重視されるからこそ、行政には、そうでない部分のフォローが求められ、ひいては行政の存在意義がそこにこそ問われます。大阪府知事の英断を求めます。
  • 葛城環

    国際児童文学館の廃止に反対します。
    希少動物と同じ意味で、とても貴重なものと思います。
    遠い将来にわたって、ますますその価値・評価を増すことでしょう。
  • 河西雅宣

     児童文学館の存続を強く希望します。大阪の財政状況も、改革の必要性もわかっています。その上で児童文学館の存続を希望します。この文学館の価値は、一大阪府だけのものではありません。資料的価値や学芸員の価値は日本全国や海外からも認められています。だからこそ多くの署名や学会からの要請書が送られています。本来は国で運営するべきものかもしれません。しかし鳥越信先生が資料を寄贈するとき立候補したのは大阪府です。しかも他の自治体と競り合って大阪府が設立したものです。寄贈者である鳥越先生、滋賀県のためにも、児童館は存続させる責任が大阪府にはあるのではないでしょうか。財政再建のために廃館にすることは簡単ですが、一度散逸した資料は二度と戻りません、学芸員の質も同じです。是非大阪府の英断を臨みます。府民のみならず、東京や全国、世界から注目し、期待しています。宜しくお願いします。
  • 極楽とんぼ

    過去、大阪府民であり、現在、司書の仕事をしておりますが、メディアで国際児童文学館の廃止を知り、胸のつぶれる思いです。
    図書館と文学館は明らかに機能が違います。例えるなら、百科事典と専門研究書のようなものです。互いの役割の交換や、統合は不可能に近いでしょう。
    児童書の世界がどれほど、絶版と復刊を繰り返しているか、知事はご存知ですか。子供の頃に好きだった本を大人になってから読みたがる人は少なからずいます。そんな本が絶版になっていた場合、出版社に再販請求をしようにも、過去の版がどこかに残されていなければ、お話になりません。
    それゆえ、同館の廃止は日本の子供文化や、児童書出版界に多大な悪影響を及ぼすのではないかと強く危惧いたします。読書の効用が指摘される昨今であるにもかかわらず、です。
    「本を焼くような所では、いずれ人をも焼くようになる」という言葉もございます。ヒトという動物を「人間」たらしめるのは、ひとえに「文化」の力です。「文化」の抹殺は「人間の尊厳」に対する抹殺でもあるのです。
    知事がそのような行為を主導されるというのなら、かつて大阪府民であり、また、文化保存に関わる職の立場から、一つの自治体を背負って立つ行政家の見識としてはなはだ狭量であると、弾劾せざるをえないところであります。
  • 瀬下美和

    財政再建プログラム(案)財72〜財80ページ。「国際児童文学館廃止」について。
    一 廃止の再考
    二 廃止へ至るまでの決定プロセスの開示
    三 仮に廃止決定に至るまでの会議議事録等がない。もしくは一般に不十分と判断するような状況ならば、改めて府民・有識者(府外在住者含む)によって構成される第三者機関等を設置し、その議事を開示すること
     以上、三点をもとめます。

     神奈川県在住ですが、約15年前に児童書の出版企画に関わった際、児文館を利用しました。職業柄さまざまな文学館を利用しましたが、図書、雑誌だけでなく原稿や原画、同人誌、紙芝居、ポスターといった70万点におよぶ広範な児童文学にかかわる品々を所蔵していること、資料の良好な保存状態、レファレンスの使い勝手のよさなど他に代えることができない貴重な施設であると痛感しております。とくに公的機関ではこれまで重視されてこなかったアニメやマンガを大量に所蔵している点は、正当に評価されてしかるべきものと存じます。
     なぜならマンガやアニメは近年「Japan Cool!」として海外で注目を浴びており、国際的に強い競争力をもつわが国の新たな先端ソフト産業と有望視されているからです。たとえば日本貿易振興機構(ジェトロ)が2007年3月に公表した「北米におけるコンテンツ市場の実態」によると、米国における日本製マンガの市場規模は01年0.8億ドルだったものが、05年には25億ドルへ急速にその市場を拡大しています。そして、この拡大傾向は今後もつづくようです。
     こうしたコンテンツ産業の成長を長く下支えしてきたのが国際児童文学館です。これだけの潜在力を秘めた施設を「稼働率・利用率」といった紋切り型の指標のみで判断し、廃止を決断するのはあまりに拙速な判断であると感じます。むしろ所蔵品が秘める価値の掘り起こしや開館以来培ってきた人脈・ノウハウの活用のみちを探り、大阪発のコンテンツビジネスの創生を検討したほうが財政再建に役立つのではないでしょうか。こうした検討・議論とじゅうぶんな説明責任がはたされた後の決定ならば納得もいきますが、発表されている財政再建プログラム(案)を読むかぎりそうした形跡は伝わってきません。ぜひ新生大阪の第一歩として検討のほどよろしくお願いいたします。
  • (財)大阪国際児童文学館の廃止・移転
    ーーーーPT改革試案についてーーーーー
    絵本作家;西内ミナミ(東京都在住)
    <大阪国際児童文学館を育てる会委員>

    大阪国際児童文学館は決して大阪府民だけのための施設ではありません。
    それが、大阪府の図書館ネットワークに組み込まれ、移管されるのには、納得がいきません。(以下文学館とする)
    また、文学館は日本国だけでなく世界でも稀な児童書の研究施設として注目され、世界中から多くの利用者、研究者が訪れ、多くの成果をあげてきています。
    とくに発展途上国に於ける、この分野の人材の育成にも、貢献しており、まさにこれから進展するであろう国際的な友好にも期待がよせられる拠点でもあります。未来の子どもたちにとっての、この、"生きている世界遺産"ともいえる文学館は、是非とも存続の方向で検討していただけますよう、切にお願いいたします。

    <付記>
    ・政治、行政運営については、詳しく存じませんが、大阪府とて、国からの地方への財源はあるでしょう。
    大所高所からの、財政見直しをお願いいたします。
  • 西田俊也

    児童文学館の存続か廃止についてもっと慎重な論議をして欲しいです。
    わたしは児童文学館にいったことはありませんし、大阪府民でもありません。児童書の関係の仕事をしていますが、そのことと児童文学館をいっしょに考えたことはありません。今回のこともどちらでもよいという考えでした。しかしわたしが好きな尊敬する作家先生や、識者の方々が反対を表明し、また手塚文化賞の特別賞をもらったことなどから、無視できない気持ちでいます。それでもはたして存続なのか廃止なのかわたしにはわかりません。でも橋下知事はこういった人たちの声に耳を傾けられてその上で廃止を決められたのかどうかとても不安に思います。なぜそれだけ多くの名だたる方々がわざわざ反対するのか橋下知事はきちんと対応されたのでしょうか。そこのところだけがわたしはすっきりしません。わたしは廃止されるにしても存続されるにしてもたくさんの方が廃止を反対した児童文学館に一度訪れるつもりでいます。
  • ばく

    先日「児童文学館見学ツアー」というのに行って来ました。児童文学館に行くのは久しぶりでした。
    長い間大阪を離れていたこともありますが、何より、行きたくなったら、万博公園にさえ行けば、そこに「ある」と安心していたのです。
    だから、今回大阪府が廃館を決定したと知り、たいへんショックでした。だけど「存続」を望む大阪府民として、以前のイメージだけでなく今の自分の眼で児童文学館をたしかめたくての参加でした。
    職員の方に一階、二階、書庫と案内していただきました。書庫は初めてでしたが資料「70万点」と言われても数字が大きすぎてピンとこなかったけど、棚という棚びっしり、じつによく整理され、保存状態のきれいな本や雑誌に「歴史」をかんじて圧倒されました。だけど決してそれらは近寄りがたいものじゃなく、親しみを覚えるものばかりで。だって、そこにはわたしの母の世代が読んだであろう本、わたしがこども時代に読んでいた本、こどもに読み聞かせてきた本、そして今、わたしがすきで読む児童書もみな「出版された時のまま」(それに限りなく近い形)の姿であり、しかも閲覧もできるからです。
    こんな膨大な資料をどうやって移転するのですか?移転先でも同じように閲覧できるのですか?
    この建物はつぶしちゃうの? カウンターでそんなことを職員に聞いている来館者の声が聞こえました。見学ツアーで一緒だった方は研究者のようにお見受けしましたが、さかんに「信じられない」「もったいない」とおっしゃっていました。ただの本好きの一主婦であるわたしもそう思いました。しまい込むのではなく、人が手に取り見て、調べ、読むことができるから。そしてそれを手助けする専門家やスタッフがいてこそ、資料は生きてくるのだと。

    見学に行って改めて廃館ではなく、これからも児童文学館を「育てていく」大阪であることを、と改めてつよく願います。イルミネーションのように煌々と街を照らすことはないだろうけれど、こどもを照らしてくれる 小さくてもたしかな灯りを消してしまったらあかんと思います。
  • 創作児童文学の会 こてまり

    新聞で国際児童文学館廃止の見出しを見ました。
    やっぱりねと一方では思いながらも、悲しくなりました。
    だって、箱物云々といっても中身が違うじゃないのさ!
    確かに多くの子どもたちが利用する図書館ではないけど、子どもたちと本を結びつける、橋渡しのできる人、子どもたちの本を育てようと学ぶ人にとって、かけがえの無い場所だと思う。
    その人たちが、次の世の中を創る子どもたちを育てていくんでしょ。
    その子どもたちが、無駄なところで大切なお金を使うような、恥ずかしい大人に成ってほしくないもんね。

    私たちは、小さな児童文学の同人です。同人誌を文学館に寄贈してます。(恥ずかしげもなく!)
    時間の経過と共に、私たちも歴史の片隅に消えていく時、誰かが「ああ、こんな時代に、こんなことを子どもに伝えようとした人がいるんだ」なんて思うかなって、過去を伝え、未来に希望を託して、四半世紀の間、細々ながら続けています。
    だから私たちにとっては、生きてきた軌跡を残して下さる場所なんです。

    館に住み着いた妖精が、多くの子どもたちと力を合わせて館をまもる、そんなお話が現実になることを、本当に祈っています。
  • えりこ

     何年か前、JPIC読書アドバイザーとして機関紙に載せる記事を書くため、見学させていただきました。みんなが使える図書室、資料室の裏に隠れた部分にこの文学館のすごさ、すばらしさを感じました。
     古い本を保管するための書庫に驚きました。子どもの本のことなら、ここがあるから大丈夫、必要なときにここにくればなんでもわかる――と考えてすごく安心して帰ってきたのを覚えています。
     大阪府の財政が大変なのは、これもよくわかります。
     今まで、あんなにすばらしい文学館があるのに、なんだかひっそりとあそこにあったような気がします。『子どもたちが笑う』ということであれば、一度無くなってしまった資料を、財政がしっかりしたとき、もう一度集めようとしても、もう無理だろうと思うので、なんとか他の方法はないか、それを私たちで考えてもいいのでは? と思います。
     みんなが少しずつ、歩み寄れば解決できるのではとも思います。人件費などのことは文学館さんでもう一度考え直し、維持費を大阪府が出せないという財政状況なら、賛助会員の募集ということでどのぐらいやれるのか? とか、みんなで考えて、なんとしても残してほしいと思います。
  • さくまゆみこ

     私は翻訳者であると同時に、大学で児童文学を教えてもいます。大学では機構が毎年のように変わっていて、ある年は英語圏の児童文学を教えていたのに、次の年には日本の児童文学についても教えなくてはならないという状態です。そんな中で感じるのは、たとえばイギリスやアメリカの児童文学や児童文化については、さまざまな研究が日本でもなされているのに、日本の児童文学の流れや児童文化の歴史や児童観の変遷については、まだまだ研究が不足しているということです。教えるために文献をいろいろ探しても、ある部分については詳しい研究があるけれど、別の部分については必要な文献がなかなか見あたらない、という状態なのです。日本で出版された児童雑誌や児童図書についても、歴史的な文献から現代の作品までちゃんと保存されていて、しかも一般に利用できるかたちになっている場所はわずかしかありません。
     そういう意味で、大阪国際児童文学館には大いに期待していました。ここにしかない文献もたくさんありますし、雑誌もほかでは捨てられてしまう付録つきで保存されています。関西方面の街頭紙芝居もたくさん保存されています。インターネットで見られる「子どもの本 いまむかし」や「日本の子どもの本100選」といったデジタルデータも、ここでしかつくれなかったすぐれた資料だと思います。今後も引き続き収集・整理・データ化を続けていけば、日本の子どもの文化をめぐる研究の国際的に重要な拠点になると思っていました。大阪の経済が逼迫していることは理解しているつもりですが、それを考えても、予算を増やしてほしいくらいなのです。
    大阪国際児童文学館は、他では見られない児童文学・児童文化に関するたいへん貴重な資料を保存し、利用できる施設であるばかりでなく、ユニークな展示や催し物や研究などを行っている重要な文化の拠点です。日本の文化の発展や子どもたちの未来にとっても、ぜひぜひこのままの形で存続していただきたいと思います。
  •   末吉暁子

    「鳥越信先生の膨大な蔵書や資料を基に開館された大阪国際児童文学館のことはリアルタイムで覚えています。今から24年前のことです。
     蔵書も今や70万冊を誇るものであり、文字どうり、国際的な人的交流や活動の充実ぶりは、世界でも、ミュンヘンの国際児童図書館と肩を並べるほどに高い評価を受けつつあるものでした。
     それが、このたびの「大阪維新」の知事案では、廃館になるとのこと。
    経済効果を念頭に置いたとしても、大変な損失ではないでしょうか。
     もちろん、有効利用の面では、まだまだ工夫の余地はあるかとは思いますが、これだけの知的財産を失うことを考えれば、国家的レベルで保護し、育てていくべきものだと思います。
  • 岸和田市  中塚鞠子この度の大阪維新では国際児童文学館が廃館になる予定とか。私は岸和田で仲間と公民館で25年近く「おやこ文庫」の活動を続けております。子どもたちが本を好きになっるよう「文庫まつり」をやったり「親子の講座」をやったりしますが、そのときお世話になるのが国際児童文学館の方々です。児童文学館には図書館とはまた違った役割があり、専門家がおられます。知事は図書館が大事だということが解っておいでなのですから、子どもたちを育てる児童文学館が大切なことは充分お解かりと思います。大人になってからでは遅すぎます。絶対に児童文学館の廃止だけは止めて下さい。
  • きんとうん出版・なかにし

     私たちの未来=子どもたちのための施設をばらばらにしないで。

     出身は大阪ですが、今は東京で暮らしています。東京生活も約10年、大阪にいた時には気付かなかったけれども、東京に来て見えることがいろいろあります。その中のひとつに、文化的なイベントや施設への関心の低さがあります。大阪にもすばらしい施設はたくさんあるのに、今ひとつ、府民の関心が低いように思えます。例えば同じ万博公園内で言えば、国立民族学博物館や、また大阪の真ん中にある国立文楽劇場など、府民はもちろん、国内外の観光客の関心もあまり向いていないように感じます。同じ関西でも神戸や京都、奈良には見るべき施設、観光名所はたくさんあるように思えるのですが、さて大阪となると、食べるもの以外に大して思いつきません。街の規模が違いますが、東京では新旧や規模を問わず美術館や博物館、資料館、ギャラリー、劇場などが、立派にその街の中心的存在となって、その街に人を呼びよせます。
    大阪も同じように文化的な施設が街の牽引力となるように、積極的に広報・宣伝し人々の考えを変えていってほしいと思います。
     国際児童文学館も児童書、マンガなどを収集してきた他に例をみない施設であり、子どもや、子どもの本に興味を持つ人たちに、さまざまなサービスを行っている資料・情報・研究機関です。
     わたしたちにとって、特に子どもたちには、本は新しい世界、宇宙、そして深い思想の世界への入り口です。居ながらにして何処へでも連れて行ってくれる素晴らしいものです。
     橋本知事の『大阪維新』プログラムは、府政の怠慢や悪しき慣行を断ち切る勇気ある改革だと期待しています。どの計画もなまなかなことではいかないでしょう。
     私には難しいことは言えません。でもどうか、私たちの未来である「子どもたち」のための施設をばらばらにしないでください。逆にもっと積極的に内外にその必要性、素晴らしさをアピールしてください。
     made in OSAKA≠フ人間として、大阪が誇れる街であってほしいと思います。
  • 野坂悦子

     私は、児童書の翻訳を仕事にしており、大阪国際児童文学館をしばしば利用してきました。同館の存続を強く願っております。なぜなら、長きにわたって児童書、マンガなどを収集してきた文学館の活動は他に例をみないものであり、さらに、国内外の研修員・研究生の受け入れという形で、継続的に優れた研究者を支えてきたからです。自国に帰ったこうした人たちが、それぞれの言語で論文等を発表し、そんな地道な積み重ねが、世界に対する日本の子ども文化の発信に、大きな役割を果たしてきたのです。

    いっぽうで、資料収集の点から見ても、持続的に資料を収集していくからこそ研究者が使えるものになるわけであり、一時にせよ収集を止めてしまうと、その間の資料を集めるのは非常に難しくなります。日本の出版界も、同館が存在する意義を知っているからこそ、献本を続けてきたのであり、「子ども文化」とはなにかを考えるためのかけがえのない場が、大阪府立国際児童文学館なのです。大阪府立国際児童文学館の廃止について、今一度の再考をお願いいたします。
  • 香村裕

     大阪府国際児童文学館が廃館になると聞いていますが、是非存続のため再考をお願い致します。
    この国際児童文学館は大阪府が世界に誇れる施設です。
    ここに保存されている70万冊の資料は大阪府のみでなく日本にとっても大変貴重な財産です。中央図書館にはこれらすべての資料を保存することは不可能だと思われます。
    それらが失われることのないよう、大阪府として最大の努力をしていただきたいと思います。
    少なくとももう少し時間をかけて、存続させるための方法を議論していただけないでしょうか。最低限でも全資料が保存出来る方法を議論していただきたいと思います。
    府民に存続、あるいは資料保存の方法を提案してもらうのでも良いと思います。一度失ったものはもとには戻りません。
  • ひこにゃん

     橋本知事様

     大阪国際児童文学館の廃止を決定された由、メディア等で知りました。資料は中央図書館へ移転するそうですが、中央図書館には現時点でも30万冊分の余裕しかありません。70万冊に及ぶ文学館の資料をどのように「移転」できるのでしょうか。破棄されてよい資料など一つもありません。そのこと一つをとっても、知事のご判断は、性急にすぎるのではないでしょうか。もう少し、時間をかけて、文学館を再度お訪ねになるなど、できないものでしょうか。
     館は大阪の財産であると同時に、日本という国が世界に誇ってもよい財産でもあります。国の補助を求めるということは不可能なのでしょうか。
     知事は、聖域なき改革とおっしゃっていますが、本当にそうでしょうか。全く手を付けていない部分があることは知事ご自身が一番よくこぞんじだと思います。
     文学館は図書館ではなく、研究機関です。日本で唯一といってもよい、児童文化の総合資料収集施設です。決して「箱もの」ではありません。宮崎県の知事が、宮崎産産物を持ってメディアに度々おでになり、宮崎をアピールされていますが、おなじように、文学館の価値をメディアを通して積極的にアピールし、大阪観光のルートに組み込むぐらいの発想があってもいいのではないでしょうか。文学館のグッズを作り、イベントを催し、ひとを集めれば、経済効果も出ましょう。それぐらいの価値は十分にある施設です。
     館の廃止について、再考され熟考されることを切に願います。
  •   中川千尋

     私は子どもの本の創作および翻訳を仕事としています。かつて2年間大阪に住み、現在は埼玉県在住ですが、大阪に行く用事のもっとも重要なものが大阪国際児童文学館の訪問です。貴重な資料と、スタッフの専門的な知識に感謝することが度々あり、とくにアメリカの古典的名作絵本『たくさんのお月さま』を翻訳出版した際に味わった感激は忘れられません。
     担当編集者も私も、その絵本を日本で出版するのは初めてと信じており、帯に「日本で初の出版」の文字を組んでいました。ところが校了直前になって、終戦後1949年に小さな出版社からほんの一時期、翻訳出版されていたことがわかったのです。翻訳者は光吉夏弥さん。光吉さんは、石井桃子さんらと一緒に日本の子どもの本の礎を作った方です。その古い絵本の現物を確認したいのに、みつかりません。さんざん探し回ったあげく、大阪国際児童文学館ならば、手にとって見せてくれることがわかり、私は急遽、新幹線で向かいました。
     資料室の奥から出してきてもらったのは、粗悪な紙の小さなボロボロの絵本。けれども思わず背筋が伸びてしまうほど、そして笑みがこぼれるほどの素晴らしい訳文でした。光吉さんは、あの戦争のあいだずっと、平和な時代がきたら日本の子どもたちに届けようと大切に温めていらしたに違いありません。いみじくも、その小さな出版社の名前は、日米出版社。
     興味をもった私が児童文学館のスタッフにたずねると、日米出版社から出された雑誌の数々も、すぐに出してきてくれました。いずれも、平和への願い、日本の子どもたちへの愛情、豊かな文化への希求が溢れんばかりに感じられるものでした。大先輩が子どもたちに傾けた真摯な情熱をまのあたりにし、胸が熱くなりました。私も微力ながら、心をこめて次代を担う子どもたちの本作りをしていこうと決意を新たにした、忘れられない一日です。そして、とんぼ帰りで東京に戻り、校了ぎりぎりの拙訳『たくさんのお月さま』(徳間書店刊)のあとがきに、この印象的な初訳本のことを加筆したのです。
     国際児童文学館は、そういう出会いを与えてくれる場所です。どうぞ大きな視野にたち、深い懐をもって、子どもと文化にとって貴重な文学館を大阪府の誇れる宝として、現状どおり存続してくださるようにお願いいたします。
  • 大阪国際児童文学館の存続を!

     2008年6月の時点で、廃館が予定されている施設のひとつに、大阪国際児童文学館の名前があがっているのをみて、関東に住まう児童文学関係者のひとりとして、胸もつぶれる思いです。
     同館は約30年前に児童文学者である鳥越信氏の個人資料12万点を土台として大阪に開館するにあたり、その後も継続して収集・整理・公開することが条件であったと聞き及んでいます。
     児童文学館は国際的にも知られた児童文学の研究拠点のひとつとなっています。海外から児童文学関係者が活動の手本とするために、またその貴重な資料を目当てに、わざわざ訪れるような場所です。このような施設があることを、大阪は世界に自慢できるのです。
     一般の図書館に移管・合併することは、貴重な資料が損なわれる・分散する・散逸する危険があるということです。さらに死蔵される可能性も。これはあまりにもったいない!!
     一般的な収集・保管に重点がある図書館司書では、今後の資料継続や、活用の対応はしきれないでしょう。なぜなら、専門の研究員のように、資料の価値や必要性、またどうすれば有効利用できるかのノウハウがないからです。多忙な館員が内外の問合せに、骨身を惜しまず対応してきてくれたからこそ、わたしたちは同館を支援してきました。自費出版資料や数少ない部数の研究書でも、わざわざ大阪国際児童文学館に寄贈してきました。実際に寄贈してきたひとりとして言えることですが、みすみす書庫で眠るとわかっていたら、寄贈したいとは思いません。国会図書館に納本すれば十分です。大阪国際児童文学館を応援してきたのも、同館およびスタッフへの信頼があったからです。
     大阪府の(財政)問題だけに目を向けるのではなく、視野を広げてくださるようにお願いいたします。廃館によって広く国内外の信頼という目に見えない宝を失うようなことがないように、現在おもちの豊かな財産を大切にする道を模索していただくよう、切に切にお願い申しあげます。(児童文学研究者・翻訳家・大学非常勤講師 西村醇子(にしむら・じゅんこ))
  •  橋下知事の府政立て直しには期待していたが、今回の児童館閉館にはガッカリした。
    放漫垂れ流し財政のつけを払うのは、それを野放しにしていた関係者やその立案し、実働していない事どもであるのは当然であろう。しかし、国内外的にも評価の高い、しかも現に有効に実働している児童館を閉めるのは何とも短絡的でいただけない。子どもの未来を摘むことと、放漫財政のつけを払うこととは別個に考えてしかるべきである。(Zengzi)
  • 全国でただ一つのすばらしい施設、国際児童文学館をお持ちの大阪府に、敬意を表します。
    「子どもの本と本にまつわる資料をここに集めましょう」という現象は「なまもの」であり、冷蔵庫に電源を入れ続けるようなケアが必要と存じます。一旦電源を落としたら、もうだめになってしまうような気がしてなりません。大阪府に児童文学館あり!ということをもっともっと全国に知らしめ、子どもの本の勉強をする者のメッカにしていただければ、私どもも泊まりがけの用事を作って、大阪に馳せ参じたくなることと思います。本はそこにあるだけではただのモノで、手渡す者によって生きてきます。子どもたちによい本を手渡したいという願いを持つ者たちの連帯が、今回の児童文学館存続のお願いで、強まったような気がします。どうかこの灯が消えませんようにと念じます。(松井るり子
  •  大阪府民として、児童文学館がある自治体に住んでいることを誇りに思っています。自分の払った税金でそれが維持されることは喜びです。
     児童文学館のモデルとなった、ミュンヘンの文学館を見学し、館長にお会いしたこともありますが、資料の充実度と専門員のスキルは、勝るとも劣らなものだと思います(むこうは、元お城を使っているので、建物はちょっと負けますが)。
     日本が世界に発信する文化として、マンガやアニメの重要さは国も認めているところです。そのための基礎資料が一番そろっているのが児童文学館ですから、廃館ではなくむしろ、アジアの子ども文化研究の拠点として、その価値を外部にもっと伝え、府が自慢できる施設として、より大きくしていただきたいくらいです。来阪した、昭和天皇、皇太子時代の今の天皇夫妻、秋篠宮夫妻、現皇太子などに、ぜひ見て欲しい大阪府を代表する施設の一つとして、ここを選び、ご案内したのは、大阪府自身だったことをお忘れではありますまい。(ひこ・田中)