大阪府児童文学館とわたし

ヤマダトモコ/マンガ研究者・川崎市市民ミュージアム

           
         
         
         
         
         
         
    
私は、自分の住まいから遠く離れた場所にある大阪府立国際児童文学館(以下児文)を、どうしてこんなに好きで大切に思っているのでしょう?

私が最初に児文を訪れたのは、たしか京都の精華大学で、当時まだ小学館の『プチフラワー』編集長だった山本順也さんの講演があった時です。京都に行く途中か帰りに、前から行きたいと思っていた児文に足を運びました。

まだライター活動はしていなくて、マンガのなかまもホンの少ししかいませんでした。特に女性のなかまは一人もいなくて、PCも持っていなかった。今に輪をかけてビンボーだったころなので、おそらく1996〜97年あたりではないかと思います。

児文で請求した1950年代の『少女』など、何冊かの資料が出てきたときの私のコーフンといったら大変なものでした。

「なんてキレイな状態!」

合本(※1)になっていないので、裏のページの閉じ部分の書誌データがバッチリ見えます。表紙にベッタリ所蔵印が押されていて、なんとなくションボリした気分になることもありません。単行本のカバーと帯も、多くはそのままだというではありませんか。

そして、請求の簡単さ、コピーサービスの速さと安さ、リファレンスの対応の親切さ、そうしたサービスの中、静かで広い閲覧コーナーでじっくり資料に目を通すことができるのです。これは二階の大人だけが入れる閲覧コーナーのことで、一階には子どもが閲覧できる本の置いてある、親しみやすいコーナーもあります。

「ここの近所に住んで、毎日マンガ資料を読み暮らしたい!こんなのタダで利用できるなんて、大阪の人たちが羨ましい!!」

と、思ったものです。

当時の国会図書館の使い勝手に慣れていた私にとって、児文の使いやすさは本当に感動ものでした。

その後も、そうちょくちょくは行けないですが、遠くにいても使えるリファレンスサービスの利用や、資料の撮影などでとてもお世話になっています。

例えば、1998年に川崎市市民ミュージアムのギャラリーで行われた「出版資料に見る少女マンガ」展の壁に展示した『少女クラブ』と『少女フレンド』の表紙写真は、児文所蔵の雑誌を撮影させていただいたものでした。今年の「少女マンガパワー!」展でも書誌調査でどれだけお世話になったかわかりません。

国会図書館の使い勝手も、今は以前に比べてずいぶんよくなりました。いつもお世話になっていて、とても感謝してもいます。でも、サービスがどんなに変化しても、図書館は本を来館者に閲覧してもらうことが大前提なので、盗難防止の意味も込めての所蔵印の押印と、補強の意味での本の加工は、おそらく無くすことはできないでしょう。

もちろん図書館にも保存管理の目的があります。本来国会図書館は保存意識の高い図書館なのです。それでも、来館者に提供することが目的である図書館では、出版されたときのままで、というのは難しいのです。

でも文学館は、いわば「本の博物館」のようなもので、資料をなるべく出版された最初の状態で保存し次世代に引き継ぐことが目的です。だから、撮影に耐える状態で資料が保存されているのです。

出版された本なら、その出版社に保管されているだろう、と思う方もあるでしょうが、それは大間違いで、その保存状態はとてもまちまちです。わりとキチンと取ってある所もあれば、まったく保管しない出版社もあります。また、保管している出版社でも、簡単にはその資料を閲覧できないのが普通です。

でも、児文は保存を前提にしつつも、閲覧にも可能な限り答えているのです。

そうしたことを考えると、つまり児文は私たちの子どもの頃の思い出の一部をそのまま保存し、行けば閲覧させてくれる、本当に稀有な場所なんだなぁ…ということがわかります。

大阪府は、廃館した際の児文の資料の行き先として、大阪の中央図書館を考えているということです。でも、いくら貴重資料は閉架で保存するといっても、図書館の保存法に準ずるということなのですから、そのままの形での保管というのは、将来的にみて難しいといえるでしょう。

もちろん図書館との違いを把握した上での文学館と図書館との連携は必要だろうし、そういう意味で文学館は図書館とデータの共有をし、来館者へのサービスに役立てていくことは大切でしょう(もうしているかもしれませんが)。

教育普及の一環として、小・中の子どもたちに、保管されている資料閲覧の方法をレクチャーするなどすれば、子どもたちは、本を大切にすることを学ぶことができるでしょう。

30年間収集されてきた貴重な児文の資料と、それらを整理管理しわかりやすい方法で提供し続けてきてくださった館員の人たち、その30年の蓄積を、ほんの一瞬の判断で無くしてしまうというのは(一瞬のように思えます)、どうしても納得できません。

アーカイブというのは、集めた資料を整理時のデータごとそのままの塊で蓄積していくことで資料的価値が高まるものです。残して積み重ねていけば、児文の資料は、いつか必ず、大阪が世界に誇ることができる知財として、自慢できるようになります。というかもうなっています。

児文をどうかそのままの形で残して欲しい。それが一番だと思います。でも、どうしてもそうできないというなら、残すためによい方法を探す猶予を与えて欲しいです。     (2008.6.14)



(※1)合本=何冊かの雑誌や冊子をまとめて一冊の本にしたもの。国会の古い雑誌は、保存性を高めるために、それにハードカバーの表紙が付いているため、閉じたところにある雑誌の発行データなどの情報を見ることができない場合が多い。