『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』
(太田大輔 福音館「たくさんのふしぎ」2010.02号)

           
         
         
         
         
         
         
    

 「主人公のおじいちゃんがたばこ好きという設定で、読者から「喫煙シーンが頻繁に描かれている」との指摘を受けたため」「販売を中止すると発表した」(毎日新聞 2009年12月29日 17時11分)という。
 「対象年齢は小学校3年生からで、発明家のおじいちゃんが2人の孫に江戸時代の暮らしを説明する内容。おじいちゃんはたばこ好きの設定で、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている」ので「喫煙に反対する団体などから「たばこを礼賛している」「たばこ規制枠組み条約に違反する」といった指摘」がなされ(2009年12月29日05時08分 読売新聞)、そこで福音館は、「 『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』は、主人公のおじいちゃんがタバコ好きという設定になっており、おじいちゃんがパイプをくわえ喫煙したまま孫たちと同席している場面も複数描かれています。これは、過去と現在をわかりやすい形で関係づける小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したり、子どもたちの受動喫煙を肯定したりする編集意図はまったくありませんでした。しかしながら、喫煙による健康被害と受動喫煙の害についての認識が足りず、このような表現をとってしまったことは、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした。深くお詫び申し上げます。(代表取締役社長 塚田和敏)」http://www.fukuinkan.co.jp/oshirase/goodsid20909.htmlという判断を下したわけですが、作品を読む限り、何が問題なのか私にはわかりません。
 パイプたばこ好きのおじいちゃんというキャラクターを作者がたてているだけです。
 作品が、子どもにたばこを勧めているというならともかく(それでもおじいちゃんというキャラクターだけがそうであるなら可です)、パイプ姿がおじいちゃんを表しているわけで、逆に言えばそれなしにこの物語は成立しないとも言えるものです。たとえばこの子どもたちは、おじいちゃんが亡くなったとき、パイプの香りを思い出すでしょう。
 作者がおじいちゃんを造形するに辺り、どのようにイメージを膨らませていったかを考えれば、それは簡単に変更を迫れるものではありません(今後、作者がどんな判断を下すのかは、別問題であり、作者の権利です。どのような判断でもOKだと思います)。

 子どもの物語が、物語ではなく、子どもを教導するためだけの道具だという意識が、批判者側にはあるのでしょう。
 今もまだそう思う人、子どもと子どもの本をなめている人がいることは仕方がありません。それは、子どもの物語を供給する側の力不足でもありますから。
 が、このことで、子どもの物語を供給する側は、萎縮したり自主規制をしてはいけないでしょう。そんなことをすれば、ますます力不足になるのですから。
 たまたま今回は福音館のトップが、判断を誤ってしまったというだけです(作者にとって「たまたま」では済まないとの意見もあるでしょうが、それも作者の権利の内です)。
 時間に追われる中では、トップのそうした判断ミスはいつでも必ず遭遇しますから、現場はビビらずにむしろそれを糧にして子どもの物語は、「子どもの物語が、物語ではなく、子どもを教導するためだけの道具だという意識」を持つ「子どもと子どもの本をなめている」人々に、理解を求めたり対峙したりを繰り返しながら、雇い主のトップではなく、作者と読者に顔を向けて、子どもに物語を提供していきましょうよ。